製品戦略/野口 淞楠

2022年2月入社 東京都在住

ーまずは経歴を教えてもらえますか。

私は1979年に中国の黒竜江省で生まれました。ロシアと国境を接するとても寒さが厳しいエリアです。
父は上海で生まれたのですが、文化大革命で農村で仕事をするために中学3年生の時に一人で黒竜江省へ強制的に移住させられ、そこで母と出会いました。

野口

住んでいた家は集合トイレのぼろぼろの家で、上海から引っ越す際に最先端の木製のトイレを持って行ったそうです。水道も無かったので井戸水を汲んで、木を燃やして暖を取るという生活でした。

野口

ーなんだかおじいちゃんのお話を聞いている気分になってきました 笑 こどもの頃はどんな事を過ごしていましたか。

父は高校の物理の先生をしていて、母は工場で働いていました。
母は「勉強をして大学に行って貧乏な生活を変えて欲しい」という思いが強く、とても厳しく育てられました。私は親の話をよく聞くまじめな良い子で学校でも成績は常にトップでした。
中学3年生まで黒竜江省で過ごし、蘇州市という上海市の隣の市に家族で引っ越しました。南の方が発展しているのでと、両親の希望で引っ越したのですが、中国は戸籍制度があるため自由に移動する事が出来ません。ツテを辿って父が転勤先の学校を見つけてどうにか実現した移住でした。

ー上海のシティーボーイと聞いていたのですが随分印象が違いますね。

気持ちは上海のシティーボーイです 笑

当時は受験戦争がとても激しい時代で高校に入ってからも勉強一色でした。
部活もやらずに学校が終わったらまっすぐ家に帰って勉強という生活でした。黒竜江省にいたころにはずっと成績も学年でトップだったのに、蘇州ではクラスで2位だったのにショックを受けたのを覚えています。
また、この頃にスラムダンクやドラゴンボール、幽遊白書など日本のアニメに出会い日本に対して興味を持ちました。

高校時代も成績は優秀で復旦大学という、清華大学、北京大学に次いで中国で3番目の大学に入りました。
本当はもっと上も目指せたのですが、当時の大学受験は第一志望に落ちると凄く不利なシステムだったので、チャレンジがしずらく合格確率の高い大学を選びました。

ー大学ではどのような生活をしていたのですか。

大学ではコンピューターサイエンスを専攻しました。
寮での一人暮らしも始まり、実家での勉強一色の生活から一転しました。武道に興味があったので空手部に入り、型では上海の大学の大会でも優勝しました。

野口

ー大学時代の成績はどうだったのでしょう。

ほとんど勉強をしなかったので普通でした。
大学生活は楽しかったのですが、納得のいく結果を得られなかったという悔しさがあり、環境を変えて頑張ろうと決意し、興味のあった日本で働きたいと日系でオフショアのシステム開発をしている企業に就職しました。
1年間は日本語を勉強して、その後日本に行くという予定でした。

ー反日教育も強い時代だったと思うのですが当時の日本の印象はどんなものでしたか。

確かに、映画など戦争を描く作品が多く、日本に対して否定的な印象を持つ人も少なくはなかったでしょう。
しかし私は「もっと今の日本を知りたい」と考えていました。日本人は勤勉で、ものづくりにおいて「匠の精神」を持っているという印象でした。そして、戦後の復興から近代化を実現した日本の今をもっと知りたいと思っていました。

入社して1年間は、午前は日本語の授業、午後は自習という生活で日本語を猛勉強しました。しかし当時はちょうどオフショア開発が落ち込む時期で日本に行くという願いは叶わず、そのまま中国でしばらく開発をしていたのですが、日本に行きたいという思いから日本にある中国人が経営しているシステム開発の会社に転職をしました。

転職してやっと日本に来れたのですが、日本の自動車メーカーの武漢工場の立ち上げで、急に通訳に空が出たという事でヘルプに呼ばれてとんぼ返りで武漢に行きました。
武漢で通訳をしながらSAPの導入プロジェクトに関わり、そこでSAPの導入コンサルとして来ていた鹿取さん(現:株式会社invox 取締役)と出会いました。
その後日本に戻って開発の仕事をしていた時に鹿取さんに誘われてビーブレイクシステムズに転職し、横井さんとも出会いました。

ー人望の無い鹿取さんに誘われて転職するとは珍しいですね。

いや、鹿取さんはやさしくて知性的で魅力的な人ですよ 笑

その後、紆余曲折あり2015年当時は上海に結婚して住んでいました。子供が生まれたのを機に、子供は日本で育てたいと考え改めて日本に来ました。

ー日本の方が子育てに良い環境だと感じていたのですね。

はい。当時の上海は空気も汚かったり、マナーも悪かったりで子供のためにも日本へ行きたいと思いました。
マナーの1例ですが、日本で電車に乗り降りする際は、降りる人が先で乗る人が後でスムーズに乗降が行われますよね。上海では降りる人と乗る人が同時に行動するので毎日おしくらまんじゅう状態になります。そのような点でも日本はとても穏やかで過ごしやすいと感じます。

日本では外資系の大手コンサル会社でコンサルタントとして働き、1年後には日本から高度人材として認められ永住権を取得しました。普通は10年以上納税していないと認められないのですが、1年で認められたのはスゴイ事なんですよ。

ー日本国が認めた高度人材なんですね。

はい。そうなんです 笑

ーこれからずっと日本で生活していく予定ですか。

はい。これからはずっと日本で生活したいと考えていますが上海で2人で生活する両親の事が心配です。
私はちょうど一人っ子政策が始まったころの生まれなので兄弟がいません。両親も日本に呼べればと思うのですが、年金や医療保険、ビザなどさまざまな障壁があります。

ーinvoxに入社したきっかけを教えてもらえますか。

2016年に再来日してからコンサルタントとしていくつかの企業に常駐して仕事をしていたのですが、正直仕事は面白いものではありませんでした。
そんな時に横井さんがinvoxを手伝って欲しいと声をかけてくれました。横井さんとは、上海に来たタイミングで会ったり、私が日本に来た時にご飯を食べたりと時々連絡を取っていたのですが、困った時に私を思い出してくれたことを嬉しく思いました。妻も横井さんの会社ならと背中を押してくれました。

ー実際に働いてみてどうですか。

いまは主に導入支援やチャットでのサポートを行っているのですが、お客さんと対話しながら問題を解決していくのはとても楽しいです。
コンサル時代はストレスで歯を食いしばり、ずっと痛みがあったのですがinvoxに転職してからはいつの間にか歯の痛みもなくなっていました。

ーリモートワークはどうですか。

リモートワークにはとても満足しています。
通勤時間など1日の中に無駄な時間が無く、子育てとの両立もとてもやりやすいです。
子供が学校から帰ってきたときに会話が出来たり、子供の成長を近くで見れるのは何よりの喜びですね。
ただ、運動不足で服がきつくなってきたので生活習慣を見直さないとと思っています。

ー今後やりたい事はありますか。

いまはお客さんが凄く増えているので、どうしたら満足度を下げず、効率的に導入支援やサポートが出来るかという事を考えています。新しい事をやっていると楽しいので、今後は新規事業などに関わっていけたらと思っています。