取締役 Chief Sales Officer/市川 太郎

2020年6月入社 神奈川県在住

ーまずは小さい頃のお話から教えてもらえますか。

市川
父は大手不動産ディベロッパーで海外のホテル建設の仕事をしていました。母は専業主婦で妹が1人の4人家族です。父は仕事で日本に居ない期間が多かったのですが、日本にいる間はキャンプに連れて行ってくれたり尊敬できるおやじでした。

小さい頃はぽっちゃりしていてどんくさく、幼稚園の頃から中学までずっとひどいいじめにあっておりつらい記憶が多いです。
中学生になって腕力が付き、いじめっ子を殴り返して勝った時に周りの世界が変わりましたね。

ーそこで自分のハードパンチに目覚めてボクシングを始めたんですね。

マイク・タイソンじゃないです笑
高校ではラグビーとサッカーをやり部活を満喫しました。高校を卒業する頃には進学せずに料理人になりたいと思っていたのですが、父から大学に行くようにと言われて理系に進み大学進学しました。
いまでも料理は好きで一番の趣味になっています。

大学時代はバイトでお金をためてバックパッカーで世界を旅してまわりました。
1年目は東南アジア、2年目はヨーロッパ、3年目は中南米を回りました。
世界を旅して感じたことは人間ってどこでも生きているな、好奇心旺盛だな、ということです。こんなところに人住んでいるんですか?というようなサハラ砂漠でもベルベル人がテント張って暮らしていますし、現地の人しかいないところに行こうと思い、インディオの住む山奥にバスを乗り継いでいったこともあったんですが、数人旅行者がいるし、人間って逞しいなと思いました。また人間は様々な土地で快適に暮らしていく知恵をたくさん使っていることを体感したのもすごく刺激になっています。だいたいのものを作り出してしまったり、土地土地で美味しいものを生み出したり、本当にすごいなと感じました。ですのでそのときに身に着けた感覚からなんとなくどこでも生きていける妙な自信がつきました。

市川

また大学時代には「国境なき学生」という国境なき医師団を支援する学生ボランティアの活動にも参加していました。
「国境なき医師団」がノーベル平和賞を取ったニュースを見て興味を持ったのがきっかけなのですが、国境なき学生では、国境なき医師団の活動を学校に広める活動をしていて、世界の紛争がなぜ起きているのかといった勉強会の運営などもしていました。

大学卒業後はコンピューターに興味があったのでシステムエンジニア(SE)として就職をしました。当時のSEはブラックな会社が多かったのですが、新卒で入った会社もしっかりブラック企業でしたね。
3年間金融機関のシステムに携わり、3年目に知り合いが会社を設立する際に誘われて3人で会社をスタートしたのですが、創業間もない時期に創業者が突然亡くなるという想定外の事が起きました。創業者の奥さんは子供が4人いたため、なんとか残された家族やメンバーが食べて行けるようにと、必死で経験のない営業もして事業を継続させていきました。

その後も7年くらい続けて安定するところまでは持って行けたのですが、その先に何かやりたいことがあったわけでもなかったため、その先の道を見つけようと大前研一さんの一新塾(政治家や社会起業家などネクストリーダーを養成する私塾)に通ったりもしました。

そんな頃ベトナムでブリッジSEを探しているという話があり、誰か行ける人を探したのですが誰も手を挙げず、海外で仕事をしたいという想いもあったので自ら行く決心をし、日系のオフショア開発の会社に入ってベトナムへ移住します。
はじめは現地採用の超安月給から始まり、途中からは取締役として計7年間をベトナムのホーチミンで過ごしました。

市川

ー奥さんはよく理解してくれましたね。

はい。必ず収入は増やすし、どうにかするから、と半ば強引に説得しました。

オフショア開発では日本の開発案件をベトナムで進めたり、日本にベトナム人のエンジニアを呼んで開発をします。
最近ではエンジニア不足でベトナムで開発という流れもありますが、当時のオフショア開発はコスト削減が主な目的で、日本の人件費とベトナムの人件費の差で利益を出すというビジネスモデルです。
ベトナムの人件費は年々上がり、コスト削減のメリットは薄くなっていくのと、ベトナム人エンジニアが家族と離れて日本に来て働いてもあまり良い条件や環境ではないという事もあり、ビジネス的にも自分の仕事的にも行き詰まりを感じていました。

ー技能実習生問題と同じような構造があるわけですね。

はい。エンジニアなのでいわゆる技能実習生よりは良い環境だと思いますが、構造的には同じです。中でも辛かったのが、ベトナムから来ているエンジニアが体調を崩し、治療の甲斐もなく日本で家族にも会えずに亡くなったことでした。
私が看取る事になったのですが、私の仕事が誰かを幸せにするどころか、結果的に不幸にしてしまったという事に深く落ち込み、悩みました。
この頃から誰かの犠牲や搾取の上に成り立つビジネスではなく、関係者全員を幸せにする仕事をしたいと強く思うようになりました。

ー海外への興味と社会の役に立ちたいという想いが感じられる話が多いですね。

はい。誰かの役に立ちたいというという想いと、どこでも生きていけるという自信はあります。
次がinvoxなのですが、私と創業者の横井とは新宿高校の同級生なのです。
高校時代はそれほど仲が良かったわけではなく、卒業後も人づてにたまに名前を聞くくらいの関係だったのですが、私がベトナムにいる時に横井が出張で来て十数年ぶりに再会し、その後は他の友人も含めて食事をしたりテニスをしたりという関係になりました。
そんな折、横井からinvoxを手伝ってくれないかと声をかけられました。
invoxの話や、事業の成長と社会への貢献が直結したビジネスをしたいという想いを聞き、応援したいと思い参加しました。

ー実際に参加してみていかがでしょうか。

正直、大変な事ばかりで舐めてたなと思いました 笑
法人営業などそれなりに経験を積んできたつもりだったのですが、会計領域は経験がなく、経理の方と会話をしながら業務を理解し、そこに合わせた提案ができるようになるまでは苦労しました。
横井の提案を真似する事から始めて、プロダクトの良さに救われながらどうにか広げて来れたという感じです。業務の理解が進んでからは、SE時代の要件定義の経験とか、法人営業の経験が生きています。

マネジメントの質もベトナム時代のトップダウンで引っ張っていくというスタイルと、invoxの自律した組織では大きく異なります。ベトナム時代はどちらかというとアウトプットの方が多かったのですが、invoxのメンバーは優秀で学ぶべきことも多く、自分の血肉になりレベルアップできている実感があります。

経歴や経験がそこまでマッチしていない私になぜ声をかけたのかと横井に聞いたことがあるのですが、横井含め他の経営陣はクールでクレバーな感じなので、ホットで泥臭いヤツが良かったと言っていました。ちょっと失礼ですよね 笑

ー今後実現したい事はありますか。

invoxは本当に良いサービスなので、きちんと広げてシェアを取りたいと強く思っています。
また事業が大きくなり、利益がしっかりと出るようになってきたら金銭的な部分を含め、メンバーにより良い環境を作りたいです。
市川