遠回りしたからこそ実感できる、ずっとやりたかったエンジニアの仕事に全力で挑む楽しさ

サービス開発/遠藤 展広
2024年7月入社 宮城県在住

ーまずは経歴と、幼少期のお話から教えてもらえますか。

遠藤展広のプロフィール写真

物心ついたころには、父が血液の癌で母がパニック障害という状況で、家族で出かけた記憶はほとんどなく、子供の頃から自然とインドアで過ごすことが多かったです。ファミコンが大好きだったのですが、家では「ゲームは1日10分まで」という厳格なルールがありました。RPGは時間が足りなくてできず、10分でいかにゲームを進めるかを極め、小2の時にはスーパーマリオをワープを駆使して10分での全クリアを達成しました(笑)。

ー10分でクリア出来るんですね。それだけ短いプレイ時間だと途中のステージは見たことないんじゃないですか。

はい。そんな時間は無いですし、すべてのステージを見たのは、中学生になってからで、画面がグレーになるステージを見たときは感動しました(笑)

中学生になるとパソコンに興味を持ち、プログラミングが学べると聞き高専へ進学したのですが、実際にはプログラミングの授業はほとんどなく、学校に相談しても、当時の仙台にはソフトウェアエンジニアの仕事はないと言われました。両親の体調の都合で県外への就職も難しかったため、進路を変更すべく高校卒業の資格だけを得て、3年で高専を中退しました。

その後、数学や物理が好きだったので人の役に立てる医学部や薬学部を目指して予備校に通ったのですが、1年目は受験に失敗し、2年目の受験では「これに落ちると中卒で働くことになる」という危機感から、受かりそうな教育系の大学へ進学しました。

ー大学時代はどのように過ごされていましたか。

中学時代から憧れていた軽音楽部に入り、バンド活動に熱中しました。授業をサボって1日15時間ギターを弾き、指から血が出るまで練習して、睡眠時間は1日2時間という濃厚な音楽漬けの生活でした。

大学時代のバンド活動の様子

大学3年生の時に父が亡くなり、母を置いての県外での就職は完全に考えられなくなったため、改めて将来を真剣に考え、数学かコンピューターを活かせる教員の道を意識するようになりました。

ーつねに自分よりも両親のことを優先して考えているのですね

行政サービスや福祉を頼ろうと色々回ったりもしたのですが、当時はあまり充実しておらず、自分たちでどうにかするしかないという状況でした。

ー社会人になってからはどうでしたか。

大学を卒業したあとに数学を学ぶために大学院へ進んだのですが、研究者の道も狭き門のため進路を迷っていた時に大学院の先輩から「システムに関われる」と言われて地元の地方銀行に入りました。結局システム部門には行けず、営業を経て資金証券部で株の売買の仕事をすることになりました。 夜中に海外のマーケットを見て、朝までに稟議を作るという激務でした。帰るのは朝の3時や4時で、朝6時には家を出るという生活です。極限状態の中、3年目にある朝起きたら目の前がテレビの砂嵐のように見え、会社に連絡したら「いいから出社しろ」と言われて退職を決めました。

ーそこから数学教師になられたのですね。

はい。まずは食べるために、定時制高校の非常勤講師として数学を教え始めました。生徒たちと話すうちに、家庭が荒れていたり児童相談所が関わっていたりと、大変な境遇にあることを知り大きな衝撃を受けました。授業以前に、話を聞いたり生活を成立させたりするサポートが必要で、そこに向き合うことにやりがいを感じるようになったんです。

そこから本格的に関わりたくなり、正規採用試験を受けて正式な教員になりました。正規採用になれば県が進めている教育システムにも関われるのではないかという期待もありました。実際に、システムに詳しい先生がいなかったため校内SEのような仕事も任せてもらえてやりがいを感じていました。

ーやりがいもあって楽しめていたんですね。

はい。しかしそれと同時に「やっぱり本格的にシステムの仕事がしたい」という想いがどんどん募っていきました。
そんな折、母の面倒を見てくれていた祖母の体調が悪化し、私が見るしかなくなったんです。教員はフルタイムで学校にいる必要があるので続けるのが難しく、ちょうどコロナ禍でリモートワークが普及してきて「家にいながら、ずっとやりたかったシステムの仕事ができる」と思い、ITエンジニアへの転身を決断しました。

ー念願のシステムエンジニアになってみて、いかがでしたか。

フルリモートの企業に入社しSESでの仕事からスタートしました。「実装がしたい」と伝えて入ったのですが、任されたのは引継ぎ資料すらない炎上案件のPMでした。深夜まで呼び出される日々が続き、2ヶ月で見切りをつけて退職しました。 その後も2社経験しましたが、業績不振で倒産したり、昇給制度がなくて生活が成り立たないほど給与が低かったりと、なかなか安定して働くことができませんでした。

ーinvoxにはどのような経緯で参加されたのでしょうか。

転職サイトに登録したところ、invoxからスカウトメールをいただき、代表の横井さんとカジュアル面談をしました。 そこで当時の仕事や待遇の話をしたところ、横井さんから「invoxじゃなくても急いで転職した方がいいよ」と言われたんです。その言葉に背中を押され、転職に踏み切りました。

ーinvoxに決めた決め手はどこですか

invoxが目指している方向性に、心から共感できたことが決め手でした。カジュアル面談で横井さんからサービスや理念の話、それからOne by Oneインボイスの取り組みのお話などを伺ったのですが、その時点で「ここしかない!」という確信がありました。
これまで転職活動を通していろいろな企業のお話を伺ってきたのですが、invoxほど理念とサービスにぶれがなく、かつ、自分が強く共感できる、という会社に出会ったことはありませんでしたので、迷う要素はなかったです。
実際に働き始めてからも、そのときの確信は間違っていなかったと感じています。

ー実際に働いてみてどうですか。

やっとやりたい事が存分に出来ていて毎日楽しく過ごしています。ついつい集中しすぎて深夜まで実装をしてしまい「夜中までやらないでください」と注意されてしまうこともあるくらいです(笑)。

また、働く皆さんの人間性や文化も素晴らしいと感じています。一度私のミスにより、開発チーム全体に大きな迷惑をかけてしまった事がありました。いままでいた会社ではもっと小さなミスで解雇される事例も見ていたので、やっと見つけたこの環境に居られなくなるかもと、焦り深く失望していました。
しかし、誰からも怒られるどころか、何人もが私の事を心配し「大丈夫?」と声をかけてくれました。そして、自然にミスが繰り返されないように改善へと進んでいきました。

ーそれは経営者として嬉しいエピソードですね。良い部分だけでなく悪いところも言ってみてください。上司の悪口でも良いですよ(笑)

いやー本当に無いんですよね。今まで経験した環境の中で、断トツで一番良いです。今までは環境が厳しかったり、やりたいことができていなかったりで、何かしら満たされない部分が必ずありました。でも今は、仕事に対しては本当にストレスなく楽しく仕事ができています。
多くの回り道をしてきましたが、どんな経験も無駄ではなく、今はやりたかった仕事に全力で向き合えていて毎日が充実しています。

ー ありがとうございました!いい景色に美味しい日本酒、楽しい話と今回も良い旅でした!

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